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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)9121号 判決

原告

金子憲明

原告

金子篤子

右原告ら訴訟代理人弁護士

礒川正明

被告

医療法人大和ファミリー会

右代表者理事

南克昌

右訴訟代理人弁護士

小林淑人

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らそれぞれに対し金六六二万五二二一円及びこれに対する昭和五八年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告金子憲明、同金子篤子(以下、原告憲明、同篤子という)は昭和五六年一二月一一日死亡した金子正憲(以下正憲という)の両親である。

(二) 被告は、大阪府吹田市垂水町三丁目二二番一号において大和病院(以下被告病院という)を開設し、医師福井某、同横山貞明を雇傭していた。

2  正憲の死亡に至る経緯

(一) 正憲は、同月七日午後五時一〇分ころ大阪府吹田市江ノ木町二番先路上において、自動二輪車(以下単車という)で走行中他の単車に追突されて転倒し、負傷した。

(二) 正憲は右受傷のため、同日午後五時二五分ころ被告病院に搬送され、原告らは被告病院に対し正憲の治療を委任し、被告病院はこれを承諾した。

右診療契約は原告らを要約者、被告を諾約者、正憲を第三者とする第三者のためにする契約であり、正憲は、被告病院の診療を受けたことをもつて、黙示の受益の意思表示をした。

(三) 正憲は、前同時刻被告病院に入院し、当直の福井医師の診察を受けたが、同医師は、正憲が脚部の痛みを強く訴えたため、脚部X線投写を行い、同人の負傷を左脛骨腓骨開放性骨折及び左足関節挫創と診断し、創傷処理及びシーネ固定を実施し、福井医師から引き継いだ担当医の横山医師も、右骨折部の治療にあたつた。

正憲は、同月一一日午前一時ころ急に呼吸困難、意識不明となり、同日午前二時五三分頭部打撲によつて生じた硬脳膜下血腫による脳圧迫が原因で死亡するに至つた。

3  被告の責任

(一) 正憲の死亡は、次に述べるように福井、横山医師の過失により惹起されたものであるから、被告は民法七一五条一項に基づき原告らの後記損害を賠償する義務を負う。

(1) 初診時の注意義務違反

単車の転倒事故においては頭部に受傷する事例が多いから、医師は、患者から特別な主訴がなくても頭部の検査を行うべき注意義務を負つているところ、福井医師は、初診時に正憲から単車による転倒事故で負傷したことを告げられていたにも拘らず、頭部に対するレントゲン撮影等の検査を行わなかつたため、正憲の硬脳膜下血腫を発見できなかつた。

(2) 経過観察中の注意義務違反

硬脳膜下出血は緩慢に進行する症例もあり、当初患者の意識が清明であつても後に悪化、嘔吐、頭痛や、神経的障害を発症し、死に至ることがあるのであるから、医師は細心の注意を払つて患者の経過観察にあたるべき注意義務を負つているところ、横山医師は、正憲において同月八日午前七時ころ嘔吐を伴う頭痛を訴え、また翌九日朝から急激に食欲が減退する等明確に脳圧迫の症状を示しているのに、頭部のレントゲン撮影等の検査を行うことなくこれを放置し、硬脳膜下血腫を発見できなかつた。

(二) 仮に被告に民法七一五条一項の責任が認められないとしても、正憲の死亡は前記(一)(1)、(2)のとおり被告の履行補助者である福井、横山両医師が診療上の債務の本旨に従つた履行を怠つたために惹起されたのであるから、被告は債務不履行に基づき原告らの後記損害を賠償する義務を負う。

4  損害

(一) 正憲の損害賠償請求権の相続

(1) 逸失利益

正憲は、死亡当時満一六歳の男子であつて、本件医療事故により死亡しなかつたならば、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であり、その間少なくとも満一八歳男子の労働者平均給与額一か月一一万七二〇〇円の収入を得ることができた(但し、生活費としてその五〇パーセントを控除)。

そこで、正憲の逸失利益の現価を新ホフマン式計算法により算出すれば、一六二六万〇〇九三(117,200×0.5×12×23.123=16,260,093)円となる。

(2) 慰藉料

正憲は、健康にも恵まれ、原告らの慈愛を受け、将来も幸せな生活を送りうるはずであつたが、本件医療過誤により、苦痛の中、若年で死亡し、その精神的苦痛は計り知れないから、同人死亡による慰藉料は一〇〇〇万円が相当である。

(3) 損益相殺

原告らは、交通事故による自賠責保険金一九〇〇万九六五〇円の支払を受けた。従つて、これを控除した損害額は七二五万〇四四三円となる。

(4) 原告らは各自右損害金の二分の一(三六二万五二二一円)を相続した。

(二) 原告らの慰藉料

原告らの固有の慰藉料としては各三〇〇万円が相当である。

5  よつて、原告らはそれぞれ被告に対し、右損害金合計六六二万五二二一円及びこれに対する本訴状送達日の翌日である同五八年一二月二九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の(一)の事実は知らない。同(二)の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実のうち正憲が事故に遇つて転倒し負傷したことは認め、その余の事実は知らない。

(二)  同2の(三)のうち正憲が同五六年一二月七日午後五時二五分ころ被告病院に入院し、福井医師が初診を行ない、左脛骨腓骨開放性骨折、左足関節挫創と診断し、創傷処理及びシーネ固定をしたこと、正憲は同月一一日午前一時ころ急に呼吸困難、意識不明となり、同日午前二時五三分死亡したことは認め、死亡原因については否認し、その余は争う。

正憲には本件交通事故当時一時的にも意識障害はなく、又、初診時及びその後の経過観察中も局所症状、意識レベルの低下、脳ヘルニアにより呼吸障害等の徴候は見られなかつたのであるから、正憲死亡の原因は、急性硬脳膜下血腫による脳圧迫ではなく、むしろその臨床経過及び左下肢骨折の存在から考えて、骨折の合併症として最も重篤である脂肪塞栓症候群の電撃型によるものと考えるべきである。

3  同3は争う。

正憲の死因は、前記のとおり、脂肪塞栓症候群によるものであるから、被告病院がいかなる診察を行つても同人の死を防ぐことはできなかつた。仮に同人の死因が急性硬脳膜下血腫による脳圧迫であるとしても、正憲は初診の際福井医師に対し、本件交通事故で頭部を打つていないこと、事故時より初診時まで一時的にも意識を喪失したことはない旨述べ、同医師も、頭部打撲等の外見的形跡を認めなかつたが、正憲の脚部受傷が交通事故によるため頭部の病変を懸念して神経学的検査を行なつたが、意識状態、瞳孔等は正常で頭部の病変を疑わせるような所見はなかつたし、その後の経過観察中においても、正憲は脚部骨折部の疼痛以外とくに嘔気を伴う頭痛を訴えたことはなく、手足の片麻痺、瞳孔の左右不同等の局所症状が出現することもなく、意識状態は終始清明であり、その他神経学的な異常も認められず、頭蓋内病変を疑わせるような徴候は全くなかつた。

したがつて、福井、横山両医師が正憲の硬脳膜下血腫を発見できなかつたことになんらの注意義務違反はない。

4  同4の(一)の(1)、(2)、(4)、(二)の事実は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の(二)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉により同1の(一)の事実が認められる。

二正憲の死因について判断する。

1  正憲が、単車事故に遇つて転倒し負傷し、同五六年一二月七日午後五時二五分ころ被告病院に入院したこと、福井医師が初診を行ない、左脛骨腓骨開放性骨折及び左足関節挫創と診断し、創傷処理及びシーネ固定を実施したこと、正憲が同月一一日午前一時ころ急に呼吸困難、意識不明となり、同日午前二時五三分死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

2  右事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

正憲は、同五六年一二月七日午後五時一〇分ころ大阪府吹田市江ノ木町二番先路上において、単車で走行中他の単車に追突されて転倒し、右側頭部打撲及び左足骨折等の傷害を負い、同日午後五時二五分ころ救急車で被告病院へ搬入された。同病院の当直であつた福井医師は正憲を診断したところ、正憲は事故当時の状況につき頭は打つておらず、意識をなくしたこともない旨述べ、しかも外表上頭部打撲の形跡は認められないし、手足の片麻痺、瞳孔の左右不同等の局所症状の出現も認められなかつた。そこで福井医師は、左大腿部に限つてX線検査をなし、その結果左脛骨腓骨開放性骨折、左足関節挫創と診断し、骨折部分を縫合のうえ、シーネ固定し創部腫張が消退してから骨折部位の手術をするため入院措置を講じ、当夜は経過観察のため絶食の指示を与えた。

正憲は、翌八日午前一時ころ足の痛みを訴え、鎮痛剤ソセゴン一五ccを注射してもらい、同日午前七時ころ看護婦に頭痛を訴えた。横山医師は同日朝福井医師から担当医として正憲の治療を引きつぎ、正憲の左足の傷害部分を確認するとともに、正憲に対し神経的検査を行つたが、正憲の意識は正常で瞳孔の左右差はなく、対光反射も正常であつたため、正憲の頭痛を一過性のものと判断し、引きつづき経過観察を行うこととした。

同医師は、正憲が脚部の痛みを訴えるので、症状の把握のため鎮痛剤を鎮痛効果の比較的穏やかなセデスの内服に変え、同日午後六時、同九時三〇分に各セデス一包を投与、内服させたが、正憲はその後も脚部の痛みを訴えるため、翌九日午後五時三五分、同一一時三〇分ころ各セデス一包を、翌一〇日午前一〇時三〇分ころセデス一包をそれぞれ投与、内服させた。また、同医師は正憲に通常量の成人食を与えたが、正憲の食欲は定まらず、摂取量はまちまちであつた。

正憲は、この間終始意識が清明であり、見舞いの友人と雑談をすることもあつたが、同月一一日午前一時ころ容態が急変し、呼吸困難を招き急に意識がなくなつた。そこで、横山医師は、直ちに酸素吸入、点滴、挿管施行、心臓マッサージ等の呼吸確保及び蘇生術を施行したが、正憲の意識は不明で両方の瞳孔がいくぶん散大気味であつた。そして、正憲は一時間三〇分経過した午前二時五三分硬脳膜下血腫による脳圧迫を原因として死亡した。

3  原告らは同月八日朝正憲に嘔吐を伴う頭痛があつた旨主張し、原告憲明本人の供述中には右主張に沿う部分があるが、前掲乙第三号証(内看護婦記録部分)には頭痛のみ記載され嘔吐の記載がないことに照らし、右供述部分は信用することができない。また、原告らは同月九日正憲の食欲が急激に減退した旨主張するが、前掲証人神崎の証言によれば、正憲は見舞いに来た友人に食料を買いに行かせ間食をしていたことが認められ、右事実に照らすと、前認定のとおり正憲が被告病院の食事を残していたことをもつて直ちに正憲の食欲が減退したと推認することはできない。

4  被告は正憲の死因が脂肪塞栓症候群である旨主張し、被告代表者の供述中には右主張に沿う部分がある。しかしながら、前掲証人松本の証言によれば、正憲の頭皮下は打撲による出血があり、その部分に対応して頭頂葉から前頭葉に脳の下面にかけて約一五〇ccの血液が貯留していたこと、硬脳膜下血腫は緩慢に進行し、脳圧迫に至る程度の貯留量に達した時、患者の容体が急変し死に至る場合もあることが認められ、右事実と前認定の正憲の臨床症状に照らすと、被告代表者の右供述部分は措信しがたい。

三前記二2の事実に基づいて被告の責任を検討する。

1  初診時の注意義務違反について

正憲は初診時において福井医師に対し頭部を打つていないと述べ、しかも同人の外表上頭部に損傷も認められず、事故後初診時まで一度も意識障害を生じたことがないうえ、福井医師の正憲に対する神経学的検査によつても異常が認められなかつたのであるから、福井医師が単車による転倒事故であることを知りながら直ちに正憲の頭部を検査せず、経過観察に委ねたからといつて、同医師の診療行為に注意義務違反があつたということはできない。

2  経過観察中の注意義務違反について

前述のとおり初診時において、正憲に頭部打撲を疑わせる状況はなかつたうえ、その後も同人の意識は清明であつた。唯一正憲は同月八日午前七時ころ頭痛を訴えたため、横山医師は神経学的検査を実施したが、正憲の意識状態、瞳孔反射は正常であり頭部の病変を疑わしめる所見は認められなかつた。一方、同医師は鎮痛作用により正憲の病状把握が困難になることを避けるため、鎮痛剤を当初使用していたソセゴンから、効果の穏やかなセデスに変えて正憲に服用させていた。以上の事実の下では、横山医師が正憲の頭部検査を行なわず経過観察を続けたにとどまつたことをもつて、同医師の診療行為に注意義務違反があつたということはできない。

四以上の説示によると、福井、横山両医師に原告ら主張の過失があつたことは認められないから、原告らの本訴請求は、その余の判断をするまでもなく、いずれも理由がない。よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官川久保政德 裁判官山口芳子)

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